人魚かたり

◎疑問◎
    『人魚は笑わない』で、人魚たちはなぜ「全員が」同じ歳の外見ではないのでしょうか。不老不死の少女が一人出来上がったら、人魚達はそれを同時に食べる、しかも一かじりででもいいのですから。(効き目(老化)の時間があるとしたら食べる量にも関係するのかも?)だとしてもあの山だけにいる人魚の数を考えると、一人一欠けらくらいは全員にいきわたりそうです。あの団結力の中で、不平等や、ようやく手に入った肉がまわってこなくて食べられない人が出てくるとはちょっと考えられません。それを皆が一斉に食べるのに、なぜ歳の外見の違いが出てくるのでしょうか。元の、人魚だった時の年齢にも関係するのかも…?でもこの場合、一番長生きした鰍があの若い顔なのだから、年齢が高くなる毎に顔の老化も遅くなるということに。それともまったくの個人差…?
あと、若い鰍を見て、ああ、真魚の前に食べられた女の子はこういう顔だったのだなぁと思いを馳せてみたり……。

    『人魚の傷』で、事故に遭い炎に包まれた真人ですが、その後どうなったのでしょうか。私は最初、実は真人にも「期限」があって、その事故と同時に効き目が切れて死んだのではと思いました。が、800年もしぶとく生きてきて今更効き目切れなんておかしいやと思い直し、では体の一定%が焼けたり、心臓が焼けたら再生不能とか考えました。「また生き返ったら…」と思いながら死ぬのですが、もう生き返ることはなかったというおちを私は考えてるわけですが、まあ別にあっさり生き返ってても別にいいです。友人に聞いてみたら、生き返っても人魚の肉は焼けてしまったので、もう犠牲者はでない、ということなのではと言っていました。なるほどと思いました。

◎好きどころ◎   (↓真魚以外の男女関係に偏った語り)
    どうも私は、湧太の過去話に出てくる女性達の方が好きなようです。髪型が好みじゃないせいか、真魚には特に興味がな…。 弁明:人魚の肉を食べて不老不死になる人数は、極めて、極めて少ない。そもそもを考えると、誰かがまず、人魚を発見しないといけないのです。過去に湧太は何度か人魚そのもの、人魚に関係するものに関わったことがあり、また昔の時代では今よりも人魚の噂話を耳にする事が多かったと思われ見落としがちですが、湧太は人魚を500年探し回って、ようやく対面できたのですよ(1話)。まず人魚を見つけるということはそれほど難しいことなのです。(1)人魚を見つける→(2)人魚の肉を食べる→(3)不老不死になる という過程の中で、そもそもの(1)でさえそれ程の事だというのに、更に、(3)ですよ。しかも、この長い時間と多くの人々の中でそんな二人が出会うのですよ。そして一緒に行動を共にできるようになる。そんなことまで考えると湧太と真魚が出会ったのは、まるで砂浜の砂粒の中で、ある特定の二粒が出会うような確率です。(超ロマンティックな表現。頑張った。)それはもうお互い本当にかけがえのないものなのです。その思いは、湧太の方が特に強いと思います。…とまあ、本編はそんな運命の二人が出合って旅をしているという話になっています。ちゃんとお互いが大切な二人だと言う事はわかっているのですが、それは、置いといて。

    私的にはどうしても、湧太と鱗とか、湧太と苗さんとか、湧太となつめとかの方に心惹かれるのですよ。(随分長い前振りでした。) ていうか私、過去の女好きです。1stラブ優先主義です。更に、想う相手には作品的に決まった相手がいて、むくわれないだろうなキャラひいきです。(他を読んでいただければ、だいたい察しはつけていただけていることかと。)…そんな強調してわざわざこのページに書くことではないのですが、話の流れで主張してみました。 てわけでぶっちゃけ、湧太が今でも自分の妻を思い出すとかでも◎です。もう名前も忘れてそうですが。通常の人は100年前後で死にますが、それ以上生きている彼らの場合、脳の記憶の容量はどうなっているのでしょう。とりあえず過去話として描かれた内容は、湧太が今もしっかり覚えている記憶だと思っています。
    キャラとして一番好きなのは、鱗です。もう色々大好きです。湧太と鱗で幸せにしてあげたかったです。 苗さんとも、実は結構ならぶらぶだったと。密会とか…。回想シーンで、苗さんの背中に手を回しているのが見逃せません。 シチュエーションとして一番萌えるのは、湧太となつめです。といっても原作のままではなく、なつめが肝を取られず、無事に湧太と二人旅立った後としての妄想です。どうせ普通の人間にはなれない(鱗と幸せにはなれなかった)のなら個人的にはもう、すごくそうしてほしかったです。上に書いた真魚との運命がどうとか、めじゃないです。真魚とだと外見年齢的にどうしても、恋人のようなそんな風にとらえてしまいますが(勿論それが狙いなのはわかっています)、なつめと湧太の場合は、なつめがまだ幼い故に、色恋沙汰の相手としては除外されます。(ここでは、幼女愛好は無視。)かといって娘でもありません。自分と一緒に旅をしている女の子は、決して恋人にも娘にもなれない。でも、自分と同じ不老不死の、人生を共にする大切な一人の女の子なんです。どうよ、この純愛。しかも、なつめは生き胆を食らい続けないといけないという、ハンデつき。そんななつめを湧太はかばいながら、二人でいつまでも旅をし続けて行くのですよ〜。(萌) 同志募集中。(ドリー夢) 二人の萌絵を描きたくてたまらんです。
人魚シリーズの中でも『舎利姫』はほんとに名作だと思います。なつめがね、もうね……

◎3人家族◎
    湧太、真魚、真人の3人で擬似家族ごっこをしながら…という選択肢はなかったのでしょうか…。もし、真人の計画通りに真魚と2人で残ったとしても、絶対苦労すると思う。真人は、真魚が世間知らずだなんて知らないまま母親代わりにしようとしてたので…。 真人「こんなはずでは…(がっくり)」みたいな。女の子の真魚1人とより、湧太という大人もいたほうが世間体として安全だとは思わなかったのかしら。真魚が同じ不老不死だと判って、→湧太を殺そう、ではなく、→おれも一緒につれていってもらおう、という考えです…。雪枝さんのことを必死で謝ったり弁解したりして、演技泣きしながら訳を話したら…。湧太は一緒につれていってくれたと思うんだけどなあ。(甘いから。)でも超仲悪そう。 で、次回作は『人魚の家族』。実は子供が一番歳上なのに、随分若いお父さんとお母さんね、なんて言われて。(3人の年齢足すと1300歳越えるんですが…。怖) 擬似家族漫画、読みたくなってきたよ。

◎その他◎
    再読していて、あれ〜、これどこかで見たことある構図だぞ〜というのを二つ発見しました。
・『闘魚の里』逆髪の頭に投げられた鱗が湧太に受け止められる=『らんま』24巻、ハーブに投げられたあかねが乱馬に受け止められる
・『舎利姫』崖から落ちたなつめを湧太が抱きかかえる=『らんま』最終話、あかねを乱馬が抱きかかえている
…そっくりさんです。
別に、だからどうというわけではなく。

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人魚シリーズ(C)高橋留美子/小学館